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震災より22年1月17日に思うこと

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01 /18 2017
神戸でも北区に住む私宅はあの大震災でも家はつぶれなかった。
まだ眠っていた。何が何だかわからず大声で「家がつぶれる!」と
叫び自分のその声で目覚めた、普段目のさとい主人もその時は記憶にないという・・
何が何だかわからずふとんを頭からかぶり「何これ・・?」

何度かの余震の後一階へ、、、物が散乱取り敢えずスリッパ把き
そろりそろり、外で近所の人たちの声、みんなパジャマ姿(寒い朝なのに)
自分たちのまわりだけに起った地震だと思い込んでいたように思う。
近所の息子さんが携帯ラジオを聞かせてくれ又石油ストーブを持ち出し
車座になり聞いていた。街でビルが家がつぶれ火災起きていることなどを・・
まして勤務先のビルが再起不能になっていたとは・・


今、思い返しても自分の事しか考えていない私です。
近所に10カ月の赤ん坊(私たちの初孫)を抱えた娘、
臨月の嫁達の事どう思っていたのか記憶にない、
娘から電話で「床に散乱している食器等どうしょう」その時言った
「おんぶして靴はいて片づけなさい」と・・・
 (婿は仕事柄飛んで出勤、後何日も帰宅出来ず) 
私は出勤することばかり口に出し通じない電話回し続けていた。   
のちに主人が言ったのが「お母さんらしい・・」色んな意味に取れるこの言葉、
本当にそうだった出勤しなければと何であんなに自分のな事しか
考えていなかったのかと思う
どんなに心細かったことかと今更ながらに懺悔してます。

息子はその少し前スキーで怪我をして休暇取っていたので嫁は気は少し楽でも
臨月です、もし陣痛でも起きたら大変だったが月末まで孫は待ってくれました。

主人の会社は東灘区、会社も社宅もつぶれ同僚の子供さん何時間も家の下に・・
皆で必死に救助されたと後で聞きました。
主人の同僚が留守番電話で(あぁー電話つながっているから大丈夫やな)と
入れてくれてた、その人の家もつぶれれいたのに・・)

それから一週間我が周辺が落ち着き出勤要請但し会社は明石支店に間借り
神戸電鉄鈴蘭台以南は不通(半年近く)明石へは粟生線で押部谷まで
そこからバスで明石までと通いました。同僚もそれぞれ被災状況違い
避難所からの通勤していたリ正社員の女性も大阪支店へ、ホテル住まいで通ったと、

営業職なのでそれから毎日お客様の安否確認やお見舞いに神戸中歩き回りました
「震災ルック」でジャンバーにズボン、リユック背負い足元はズックでしたね
市内の被災の凄さに声も出ず黙々と訪ね歩きました・・あの冬・・
せめて同じ空気吸えたと少し気持ち救われたのを覚えています。
顧客の方ご家族含め10人の方亡くなりました。

無事である事に一種の後ろめたさを感じながら、そして何年たっても
この日が来ると主人と同じ気持ちで同じ話をしています。 


  これは4月の社内報の特集の記事です。

  震災

   17日夜書き始めたのに気が付いたら日付変わっていました。





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ムーミンママ

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